見誤らないように、考え込まないように

幼い頃からの私を知っていて、私のことを心から叱ってくれる友人がいます。住んでいる所が遠かったので地元で同窓会をやってから数年会っていませんでした。ですが、私が東京に引越してきたことが機会になり、今日会いました。

何をしたかってことはなく、昼食をとりながら珈琲を飲みながら延々と話していました。生き方というか人間関係というか恋愛関係というか、何を話したかって分けてしまうことが勿体なくなるくらいの多くの話をしました。相手の言葉が自分の心に直接響いてくるから、とても嬉しいんです。自分の中にもあったことなのでしょうが、それは言葉に仕切れるほど自分の中で明確ではなく、捕まえようと努力したこともないそんな自分の怠慢を叱ってくれました。

考えないと私がなくなってしまいます。でも考えすぎると最初にあったはずの私が出せなくなります。しなければいけないでもなく、根本がそうだからでもなく。したいんだやりたいんだってことが自分の中に生まれたことが嬉しいです。それらで少しでも早く行動に移ろうと、別れた夕方からあれこれと行動していました。情けない、私は駄目だではなく、理想とすべき自分に近付きたいからこそ。その時の気持ちを伝えていました。見習いたいうらやましいだけでなく、少し肩の力を抜いて、自分の進みたい方向へ進むんです。考え込むのではなく、考えたことを全て出せるためにも。

ここへ入ってみないと意識しないとできなかったことができないままで終わってしまいます。その道の入り口に入るのに力を貸してもらいました。あまり自分から人には相談しないのですが、そんな私が相談した数少ない人、心で叱ってくれる人、そうやって背中をたたいてくれる人。そんな友人が私にはいます。

そんな今日とこれからの私のことを寮に帰って恋人に電話してみました。その電話でもまた話をしました。一日中、大切な話をしていたとても楽しい一日でした。私の半生を数時間で振り返るようなそんな一日でした。