頭より簡単に切り替わる所はないのでしょうけど、頭ほど簡単に切り替えるのが難しい所もないのでしょう。頭ほど硬いものもないのでしょうけど、もっとも柔らかくすることが出来るのもまた頭なのかもしれません。ここに文章を書く感覚で論文の文章を書いてはいけないのに、気が付くとここと似た感覚で文章を書いていました。語尾を変えるだけなら、直す事も簡単なのですが、漢字の使い方や句読点の打ち方による言葉の係り方は、論文調にしようと想うと発想それ自体を変えなければいけません。

私の物の考え方は文系の方に近いんじゃないかと思いはじめました。物の考え方は置いて置いても、文章の読み方がそうなんです。論文も小説のように読んでしまうときが多いのです。論文は書いてある事を書いてある通りに読む事が大切なんです、書いてある事が解らなかったら、参考文献を参照して書いてある事を理解しなければいけません。私の場合、小説は書いてある事から想像を膨らまして読む事が多いんです。時々、書いて無い事まで考えてしまうこともあります。こんな読み方で論文を読んではいけないのです。

自覚と切り替えを目指します。簡単には出来ないかもしれませんが、訓練を続けて自分自身から逃げ出さないようにします。上手に読めない事はどうしようもなく不自由なことでしょうからね、確信がある部分が無いとその上に何も乗らなくなります。自分が力不足だという自覚が目覚めるまでに三年に近い月日がかかりました。自覚したら次は覚醒です。あか抜ける、一皮むける、色々な言い方があるのかもしれませんが、覚醒です。

ここで立ち止まらずに、やるだけの事をやり続けます。少しずつでも変われるのですから。