何回も何回も

同じことを何回注意されただろうか。直らないんだよなぁ……なかなか。簡単に直ることならば最初から注意されないのかもしれないけど、そんな考えしちゃいけない。せっかく注意してくれているんだから、刻み込まないと。刻み込んでも、つもりで終わっているのか直らないのが辛い。こんな時自分が莫迦なんじゃないかと思う。いや莫迦なんだろうけどね。思考の切り替えが出来ないのがいけない。理系に工学的に物事を考えることができなく、深く深く追求していくことができない。自分の中にある世界が工学じゃなくて文学色が強いのか、相手の質問が言葉でしか理解されず。アカデミックな文章に書いてあることすら、そこにあることがそういうことなのだって理解で終わっている。これを本当に理解しているということにしてもいいのか? いけない、何故って質問に答えられないのだから自分の物になっていないのだから。九月末頃から二ヶ月以上途中別な事も挟みつつ根本は同じ事を考え続けてきたはずなのに、本当の自分の力になっていない。プレゼンテーションするまではなっていると思っていた自分が情けない。人前で喋れないのは技術不足や経験不足もあるだろうけど、だからなんなのか? 結局何が言いたいのか? 本質は何なのか? 自分がそれだと思って捕まえた本質が全く別物だからだろう。単に時間だけかけてあれこれと手を動かすことは誰にだって出来るのだけど、ここからあと一歩ハードルを越えなければいけない。1つ越えられればあとはその繰り返しだろうから簡単なのだろうけど、越えたと思って満足してしまう自分がそこにいるから、本当のそれが見えていない。ここが自分に対する極限の甘さ。これを持っている限り劇的な成長は望めないのかもしれない。解っていることがつもりでしかない、どうしようもなく自分自身が情けない。これをしないと自分が今どこにいるのか把握できないことが弱い。進むことが出来ないことに繋がるぞ。そしてもう一つ情けない所は、怒られたこと駄目出しされたことを延々と引きずっている所だろう。情けない、考えるなって思い出すなって自分に言い聞かせている時点で悩んでいるのだろうからね。まぁ同じことを何度も注意されれば自分自身に嫌気がさします。なんちゃって理系なんじゃないかなぁって思う事が怖い。理系的思考に自信がなくなることが怖い。本当にこの道を進んでも良いのか揺れることが怖い。でも結局はやるしかない。がんばり続けるしかない。頑張ってもなかなか進歩しないからといって頑張る事を積み重ねることをやめてしまえばそれまでで止まってしまう。いつかを信じてないとやってられない。こうして悩んでいる時が一番力を付けているんだってことを信じなければやってられない。嫌な事があった日は文章がやたらと長い。