距離感

この距離感。言葉だけで成立してしまっているコミュニケーションってことで言えば同じ。文章として声として合間や選択で雰囲気を伝えることもあり、それが伝わってくることもあるけど、やはり、実際会うことの力は大きい。言葉だけでは曖昧なものを確認するために合うことだってあるのだろうから、いや曖昧なものを確認するために合うのだろう。人の話は聴く。聞く相手もいる。俺が話すことは考えてみれば少ない、自分から話すこと自体かなり少ない。今まで話したい、と思った相手よりも、実際に話して伝え様と動いた相手は多くない。いったい、何がキッカケなのだろうか? この距離感で言葉を交わしている関係って多い。何があってもこれは変らないことだろう。なっとく出来る結論も無い、それを導き出すための理由が無い。もしも今別の相手とこれだけの話しをしたら動かないとも限らない。誰に対してもそうなのか? と問われたら……嘘をつくのはたやすい、つきとおすこともこの環境では出来る。だけど、そうすると自分の言葉が自分を縛り付ける。電話は嫌い。話すことは好き。今まで色々なことを電話で話してきた。そんなことが頭をよぎる。先月のこの間起こったことも考えてしまう。自由な思考を阻害する。伝えるものがない、伝える言葉がない、伝える状況にない、言葉遊び。どうやって伝え様と、なにがなんだか。ただ、一人静かに考えて。結論は今出せないことに気が付いてしまった。距離のもつ意味は大きい。絆を深めるのは距離もメディアも関係ないとはいえ、同じ環境が多すぎると動かない