傲慢

自信は傲慢に繋がる?判らないで思考を放棄することが、全てをわからないことにする。完全に物事を割り切ることが、余りをあることに恐怖する。今の感情に無理やり名前をつけて自ら把握したくなる。同じ立場にある人に対する思いの差を見せつけられる。メディアに依存してしまっている自分がそこにいる。人間性を伝えることの難しさがそこにはある。売り物を意識しないで文章をつむぐ。商品として見ない自分の文章、プロにはなれない。色々な事を経験して、それを自分の中で言葉にして、書き綴っていく。言葉を受け止めて作品を作って行く。それがプロではない、そこからもう一つ思考の飛躍が必要。自分が書いた作品を商品としてみることが出来るか、出来なければ同人レヴェル、単に好きってことを形にしたに過ぎないのだろう。好きを形にするのではなく、それで商売をしなければいけない、芸術とか文学とか作品と呼ばれるものになればなるほど、そこにある差に悩まされる。客観視する事よりも大切なこと、作品には絶対の自信を持っていなければいけない。それが作品を作るってことだし、あそこが気に食わない、ここがどうも気になる、それくらいの事なら誰にだって出来る。作品として表現した以上、それを受け手がどう取るかは受けての自由。発明とか発見じゃない、表現。考えを表現することが当たり前になった人。自分の考えを伝える場を持っている人。メディアで垂れ流された考えを、俺に言わせろと思う、メディア自体を見ない。それも一つの選択。自分の意見との差異を確かめるだけの普通の人。ここの言葉だって、どこにもPRしていない。単に毎日何か書きたいだけなのか。