言葉

言葉をいくら費やしても、費やせば費やすほど心からかけ離れてしまう。伝えたいのはもっと別なことなのに、伝わらない。心を越えることが出来ないことは判っていながら、距離を越え時間を越える数少ない、言葉で気持ちを伝えようとする。心を言葉に表せないから、言葉から伝えたい想いを完全に判ることだって不可能なのかもしれない。気持ちを伝えることばはいつも曖昧。全てがわかると誓うことは出来ない。だからこそ、知りたい伝えたい。信じろと言うことは出来ないし、期待してもいいよなんて言う事だって出来ない。だからこそ、俺は期待にそえる俺でありたいと望む。自分が決めて良い事と、自分が決めてはいけないこと。テリトリィを定めることは淋しい。だけど、もっとも誠実なのかもしれない。言葉にすることが、嘘ならいくらでもつくことが出来る。だからこそ、そうだからこそ、言葉を大切にする。判るのではなく、判ろうとする。自ら考えて行動を起こす、一気に色々な事が起こる。それら全てがなんだかありがたい。ありがとうって気持ち。だからこそ、自分から動きたいと思う。相手が嬉しいことが、自分の喜びに繋がるからこそ。突き詰めればエゴとエゴのぶつかり合い。心を預けること。俺も甘えているのかもしれない。切り口を変えればいくらでも見ることが出来る、同じものの別側面を。近い限りなく近付く。詩のような散文、散文のような文章。名前を付けることで論理的ということでまとめてしまう。思考のストップの恐怖感覚。それ以上はどこにもない、だからこそ、だからこそ。何もない。送った瞬間、もっと別の言い方があったことに気が付く、送らなかった方がよいことに気が付く、だけど伝えたい。自分だけで完結し得ないこと。悩んでもいい。間違ってもいい。逃げてもいい。ちょっと落ち込んでいる?