電話ストップ

先日から、電話の呼び出し音を切っている。スウィッチを三段階に調節できて、「切」「通常」「大」ってのがあるんだけど、その中の「切」ってのに合わせている。電話が鳴ると、「外線」ってランプが黄色く光って、しばらく経つと留守番電話かFAXに自動的に切り替わる。黄色いランプに注目していると電話が鳴っている事に気が付けるのだけど、それを見ていなければ留守番電話の動作音がするまでは電話が鳴っていることに気が付かない。留守番電話の動作音が電話の呼び出し音みたいなものなの。

留守番電話って言葉も何か面白いよなぁ。電話が留守番しているのだろうか? 留守の間にかかってきた電話を録音して帰ってきた時に再生するものなのだけど、これって部屋に電話があった時の感覚なんだろうな。今のように個人々々が電話を持つと、留守って物に意味がなくなる。本人を留守にすることなんてできないのだからね。都合で電話にでられない時は多々あるのだけど、それって留守じゃない。固定電話にかかって来た電話を携帯している電話に転送するような設定をすれば固定電話にすら留守って概念が無くなるな。

お喋り自体は歩きながらでも出来るのだから、電話はこのまま移動する事が当たり前になっていくのだろうけど、そうなると留守番電話は留守番するためよりも、番組のコーナの1つに使われたり、話している内容を録音して後で記録を起こしたりする為の効果が期待されるのだろうか。

FAXってのも、今に無くなるのだろうけど、完全に無くなるのはいつくらいなのかなぁ……。電子文書が今の文書の電子化するだけでなく、電子文書用のフォーマットが一般的になることがまず先なのかな。表の中に文字を入れるとか、脚注だとかは、今の文書から考えられた手法だろうから、これらをしなくても簡単に表現出来る方法が確率されれば無くなるのにも加速がかかるんじゃないかな。脚注はハイパリンクで何とかなるだろうけど、表はまた別な手法がいるだろうなぁ、アプリケーションのスプレッドシートやHTMLの表のタグなんてそのものだよね。

ただ、メディアがどれだけ変化しても大切な事は変わらない。人が人に伝えるって事、そこに何を伝えるか、そこで何を伝えるか。でも、メディアを変えることで産まれる発想があることも確かな話。