何もしなくても

何もしなくても、続いていく関係もそれなりに素晴らしい。だけど、その関係を続けていきたいと思う事の方が何倍も素的だと思う。縁なんてものは、降って来る時もある。だけど、その降ってきたものも何もしなければどんどんと薄れていきそして消えてしまう。偶然か必然か、またその縁が復活する事もあるけれども。一つのものを長続きさせるのともまた違う。消えてしまってまた復活した縁と、切れずに続いている縁は絶対に違う物。違うから良い悪いではなくて、ただ漠然と違うものがそこにはある。続けていきたいと思う関係。それに友達と言う名前を付けようと、恋人と言う名前を付けようと、大きな違いは無い。続けたいと思う関係は続く、そう思える事ってなんて貴重な事なんだろうか。だけど、忘れてはいけない事もある、それが引きぎわ。続けたいと思う関係でさえ、これは歴然と存在する。選ぶものではなくてこれもただそこにあるもの。続ける事がその関係にとって重荷になるのならば一度考えるべきなのだろう。自分が自分で居られなくなるとか、自分が変えられるとかなら瑣末な事、それもまた新しい自分。自分を探すなんてカッコ良く聞こえる事をさも当然の様に言う事もあるだろうけど、それってかなりマヌケな考えに聞こえるな。生きていて良かったと思う瞬間を誰もがすぐに忘れてしまうくらい当然の事で、自分で自分の事を完全に解っている人なんて居ない。現実を認識している程度だって誰もがたかがしれている。しったかぶりしてさも大天才の様に振舞う事だって出来るけど、そうする事で終ってしまうものは確実にある。信頼関係なんてお互いの頂上と底辺を見つめる事が無いと始まらない。始まらなくて良いんだったらそれはそれで一つの選択だろうし、そういう関係がある事は否定しない。って言うかこれを見に付ける事も大切な道なんじゃないかな。言葉に出来る事なんて少ない、自分が気が着いた事実でさえ巧く言語化出来ないし、そういう事って自分で捕まえる事がとても難しい。捕まえられなかったものは、知らない物と同義にされてしまう。もっともっと耳を澄まして感覚を砥澄ませて。驚く程の所に居る事に気が着く。匣の中に最後まで残っていたものは?