いつまで

いつまで待てば良いのか? いや、良いとか悪いとかの話じゃないな、いつまで俺は待てるのか? 表に出ているかも知れない、研究自体があまりにも進みが悪いから、いや時間はかなりかけているから進んではいるのだろうけど、全く手応えが無いから、方向性は見えはじめても、判る範囲がそれだけ広くなると、同じだけ判らない範囲も広くなっている。これが判るって事名のかも知れないけど、一日のどこに中心を置いて良いのか、何が今自分の生活でへそなのかがハッキリしないから安心出来ない。ふらっと掃除をしたりする事、ちょっとだけ役に立ったように思えて、また一歩踏み出せる。暇だから働くのではなくて、自らの為に働く。まっすぐもどっていたのでは見えて来ない物が見えるから。そんな毎日の中ただひたすら待つ。なんとなく悶々としているのが解る、普段ならばしないような事を自分がしている。色々な所に気分を持って行きたいのだろう、勢いをつけていたいのかもしれない。吉とでるか凶とでるか、そんな問題じゃないのだろうけどね。選択の結果なんて解らないのだ。解らない事が解らないって言える強さ。部屋でもそれだけの事をしている。研究室でもそれだけのことをしている。それでも終らない。終る気がしない、でも止めるわけにも止めるわけにも行かない、続けるだけ、ただひたすら続けるだけ。ゴールが見えない努力は辛い。受験期程勉強はしていないのかもしれないけど、受験期よりも追い詰められている。周りの様々な影響が一緒になってやって来たような怪しさに駆られる。時は流れる。ふとした折に思い出す。集中しようとしても、不意に流れるものがそれを止める、嫌な感情じゃないから、しばらくその中を漂い、また切替える。切替えが出来る精神の強さは鍛えたつもりだけど、流れないようにする強さは鍛え切らなかった。でも、これが心を奪われる事なのかもしれない。はじめて落ちるって言葉をこの感情に名付けた人を尊敬してしまう。遊ぶ相手は選ぶ事が出来る、食事する相手だってお茶を飲む相手だって選ぶ事が出来る。言葉を交わしたい相手も、もちろん選ぶ事が出来る。結婚する相手も幸せを願う相手も選ぶ事が出来る。でも、好きになる相手だけは選べない、気がついたら好きになっているもの、そこにあるものだから。一緒にいれば好きになる事があるかもしれない。どちらが先なのか解らなくなる事なのかもしれないけどね。どっちが始まりなのか重要じゃないのかもしれないけどね。