次に活きる

あなたの気持ちが受け止められない。それだけの言葉で忘れられるような想いならば伝えたりしない、忘れられないから伝えたいのだし、俺は伝えたのだから。新しい出会いを求めたい気はするけど、恋にはまだ落ちないような気もする。今回のこれまでの冷却期間はほとんど4年近い歳月を要してしまったのだから、一人の人に対して抱いた想いを受け止めてもらえなければ自分自身の力で受け止める。想い出に替えるのではなく、この想いと共に生きる事を選ぶ、こう想えるのも自分の中での一つの好きの証。伝わらない想いはもどかしい、けど、それで癇癪を起こすほど幼くは無い。しっかりとみすえて、この10日間かけて考えて来たものを大切にしてあげたい。伝わらない予感はしていた、これを感じたあの日が一番泣けた。今日は受け止める準備が出来ていた、だから泣かなかった。一つだけわがままを伝えた、毎年年賀状は出すと、電話もしない、メールもしない、手紙も多分書かない、会う事もこれから先無いだろう。でもこの想いは本物、そして本物の想いは一瞬でも永遠である。永遠なんて絶対なんて無いものなのかもしれないけど、これを信じたい時はあるのだ。「めぞん一刻」を「101回目のプロポーズ」をふと思い出した。巷で流れるラヴソングが妙に心に痛い時がある、本を読む毎に思い出す事もあるお互いの想いの重さに気がつかない事から数々の男女の悲劇はうまれ、気がついたとしても、やっぱりそれは悲劇なのかもしれない。悲劇を悲劇ととらない事だって出来る。受け止められる人はいる。一つの素的な出会い。自分を根底から替えられる様な出会い、散々な事も多いけど、やっぱりこういう気持ちになれる事は嬉しい。次にいつこんな事が起こるのかは解らない。選んで人を好きになることは出来ない。降って来るもの。落ちて来るもの。落ちて行くもの。色々な人と一緒に遊ぶ事はあるのかもしれないけど、伝えたい位気持ちが高揚する事ってなかなか無いのだろうからね。雰囲気に飲まれる可能性もあるし、さてさて。とりあえず、今日は昂ぶる気持ちを押えつつ眠りにつきたい。このページ開設2周年記念の夜。