自己満足

限りなく自己満足の世界。自己投資ってものにも色々な形がある、目に見えない形も多いし、後に形として残らないものも多い。ただ、そいつが生活費を圧迫してくると考えものだったりする。定期的に引かれるものがあり、そいつもまた大きい暮らせるギリギリの境界線。今月はまだ半ばだと言うのに、それを心配している今日。何にもしないで、ただただ寝て過ごすってのは一つの方法なのかもしれないけど、それも何だかね。何も減らないけど、何も産まない生活がそれだったりする。自らの志とはまるで違う道。ギリギリまでは削るけど、心根だけは貴くないと、なんの準備も出来やしない。金は知らない間に貯っていくって人もいる、収入の無い身空では知らない間に削られていっている。支出を減らすのにも限界がある。でも、今月の頭に自己投資を惜しんでいては、今の自分はなかっただろう、生きた金が使えたなって思う大切な時間。そんな時のそれは、金額以上の価値をもつ。金に換算出来るものに価値って言葉を使うのが辞書的意味なのだろうか? だったら、重さは同じでももっともっと貴重なものにかわったんだろうな。天皇さんの即位10周年の日らしい。朝郵便局で記念硬貨を手にいれて来た、こう言うのを集める人がいる、金じゃなくて、貨幣になっっているそれ。俺はとりあえず、変わったものには興味をしめして、使うタイプ、しばらくは財布の中で他の金を呼びにいかせるかもしれないけど、それ以上はどうもね。記念切手を買うのも好きだけど、完全にこれも使うために買っている。デザインの好き嫌いだけの話。普通切手の80円のデザインがどうも自分で使う気になれない。500円切手のデザインは好き。記念切手は様々なデザインがあって、使ってて楽しい。脈絡の無い一日ようやく別の事を書こうと思えはじめる。こうやって少しずつ動いていく、激しく燃える事は無いけど、静かに在り続けるそれ。最近炎を見て落ち着く自分に気がつかされた。