去年の今頃

去年の今頃、今年の今。読み返していてめちゃくちゃ苦しんでいた自分を発見する。自己満足って大きなラベルを貼り付けて、思いやりってものが今以上に掴めていずに、そしてこの時の一番の失態だと思っている幻を見つめすぎて、破れていった想い。あの時の自分はあの時の気持ちに真剣だった、もう誰にも止められないくらい真剣だった。それだけ精一杯行動したからこそ、今こうして思い出すことが出来るものに変わったのだろう。何か恥ずかしくなるくらいな思い出として。一つ一つの思いは違う。それら全てが初めての思いなのかもしれない、去年も書いたけど、一般論じゃ語れない世界なのだから。返ってくる想いがあるから、届けられる想いがある。とは言えない、言わない、思わない。愛されなければ愛せないって事に他ならないから、戻ってくるから待っているってのに他ならないから。独立したそれ。だけど、相手に疎まれたら自分の気持ちを止めなければいけない、これだけの年月生きていれば自分の心に墓穴を掘る方法は身につけていなければいけない、めちゃくちゃ苦しいし、錯覚だったのかと思ってしまうこともある。相手に疎まれても自分は想っている。それは別にいい、大切なのはそれの表現方法。もしもの時を考えてとっても心がいたくなる、自分の想いの強さの何乗に比例しているのだろうか? そのときの真剣な気持ちは本物。それだけの人に出会って、心を預けたのだから。この想いと心中したいと想うような瞬間を大切にする。そんな時間が自分の世界を作り上げる、自分らしさで凝り固まり澱みが溜まりかけた自分の世界から、流れる清いものがみえはじめる。あの瞬間があるから、今の俺がいる。そんなことの繰り返しが大切。