正論

正論が常に正しいとは限らない。正論と言えども、自分の中での論理に過ぎない。ただ、この論理を譲る事は自らの自己同一性すら崩壊しかねない。でも、この論理が世界的に通じるかどうかとはまた別の問題。自分の中のそれがあまりにもマイノリティだと、周りには引いてかかられる。ただ、この自分がマイノリティって事を自分で気付く事は、あまりにも難しい。自分の悪い所と言うよりも、受け入れられにくい自分の特徴と言った所だろうか、自分の短所ならば、客観的な視点やその他の方法で気付く事は出来るのだろうけど、そうとは言えない事だから。こういう事に友の言葉から気が付かされる瞬間。直せるかどうかじゃなくて、多分直らない事なのかもしれない。でも、どんな物を持って居ても、ライフスタイルにする事は出来る。こう言う気が付かされた時を大切にする事が、更に一歩素的な自分へと繋がっていく。昔に、言われた言葉を思い出す。冷やか。きつい。どう言う事だって、見方によっては短所にもなり、長所にもなる。これを測る手段は結果だけしかない。結果と経過、基本的には経過の方が大切なんだろうけど、評価を受けるのは結果。そのためにも、一つ一つ事を起こしていくのだ。何もないは、何でもある。あるものの楽しさをしっかり見つめてやることは、難しいことだろうけど、無いものねだりをしてもね、透くんを思い出し。普段見えないもの、自らの自信を持ち、チャンネルの数を増やす事で、知世ちゃんを思い出し。絶対だいじょうぶだよ、と自らの内に唱えながら、桜を思う。小説ではなく、漫画の世界。作品に影響を受ける。時間とカウントダウン。順番が大切。