読み手は?

誰に対しても発している言葉なんだろうか? だとしたら、自分自身、かなり不誠実で無責任。自分が一番嫌いな自分に近付く道をあるいているような気がしてしまう。発している対象が多すぎるのだろうか? この方がもっともっといやなやつかな、気の良いやつを演じているだけ? まぁどう考えても自分の言動が気の良いやつに繋がるとは思えないけど。安売りしているようで、自分で抱え込めないことを増やし過ぎているようで、どっか逃げているっていうよりも、賭けるのが恐くて保険があることに依存しきっているのかもしれない。後が無い思いになれていないからこそ、そういう状況に置いているだけなんだろうか? 人が悪い、言葉が軽くなるだけ。自分の責任をしっかり果たさないと行けないのに、発する言葉が軽くては、どこまでいっても単なるいいひと。場所と時間と媒体と、伝える方法、伝える内容。一番大切なのはそんなことなんだろうけど、だけどでも……その時もっともいいと思う行動をとっている。だけどそれが時間によって食い違いを生じるのだろうか。余計なお世話と思い遣りは同じ物の別の切り口、どこが見えるかどこをみせるのか? どれだけ費やしても伝わらないものはある、一時の温もりが力を持つ時だってある。万人が認める一般論って無い、人の数だけ答えがあるのだろう。本質の近さを感じるからこそ、影響を受け影響を与える。答えが正しいとも限らない、正しいことがいいことだとも限らない。考えることを恐れるな。