距離がある想い

距離がある想いは、難しい。会いたい時に会うことができない関係というのは、ちょっとしがことがすぐに何か別のものに直結しえるから。成立しないとは思えないし、逆にそれが想いを深めることだってある。距離に負けたって言葉があるけど、距離ではない、何か別のものがあったのだろうけど、それらを言葉にする力が無いから、距離って言葉で言い換えて納得しているだけなのではないだろうか。どんなに近くに居るとしても距離零には中々慣れないし、その状態で延々と生活する事なんて不可能。歩いて行ける距離でも、車が必要な距離でも、飛行機が必要な距離でも、本質的な問題は変わらない。理由にならないものを理由にして得られる個人的納得。だけどそれが欲しい時はよくある。気持ちを動かしやすい距離はあるだろう、甘えやすい距離だってあると思う、だけど、同じものは一つだってないし、新しいことが起こる度、そこでしかできない形があらわれるのだろうから。だから、そこでだけできる可能性はある。絆を深めるのに、距離が関係する時代はとっくに終わった。コミュニケーションの手段は日々格段に進歩しているのだから。町を離れることが、引っ越すことが持つ意味。確かに存在するのが、コミュニケーションの方法の好き嫌い、向き不向き。本気で心を動かそうと思ったら、本気で心が動かされたら、それすらも乗り越えるのかもしれないし、実際そうなんだけど。だけど……。俺は選ばない、選べない。俺が伝える側じゃないのだから、判断を委ねられても困ることは多い。とても気持ち悪いくらい、欲しい言葉は最初から分かってしまった、曖昧な態度を楽しんでいるのか? 相手の気持ちに甘え過ぎているのか? そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。一言言ったら変わるのだろう、だけど今は言う時ではない、何も伝えない。何かキッカケを求めているのか? ただ伝えるためだけに出かける、玄関先で涙を店ながら、8巻の場面がふと頭を過る。会うことの持つ力。言葉の持つ力。