座り続ける

10時頃からだいたい17時頃まで、長い日は今日みたいに19時頃くらいまでだったり、9時頃からだったりするけど、途中の昼休みを覗いて、延々と計算機のディスプレイの前に座り続ける。大量の電磁波を浴びているからだろうか、単に画面と目が近い状態が続くからだろういか、それとも直しても直しても動かないからだろうか、とにかく一日を終える辺りの脱力感はどうしようも無いものがある。それで仕事が進んでいればいいのだろうけど、研究ってのは、そんなものじゃない。エンジンの整備と似たような事をやっているのかもしれない、一部分を直して、実行してみて、結果を見る。それが良くなったのか悪くなったのかを検討して、良い状態だけを残して行く。その作業を考えられる動作全てに対して行って行く。その上、動作の組合せによって順序によって引き起こされる動作の検討も行う。時間だけがどんどんと過ぎて行く。得に今やっている、画像情報は、テキストベースでプログラムしていては始まらない、計算はターミナルを開いてテキストだけで可能なんだけど、実行結果は、OSを切替えて、画像データとして出力しなければいけない。同じ像か、違う像なのかは、微妙な範囲ならばテキストにして、差異を求めるコマンドを打った方が早いのだけど、違って、さらにどっちが良いのかの比較検討は、見てみないと解らない。専門家が見ても解らない画像をみて判断しようっていうのだから、この難しさは並じゃない、プログラムが理論上正しく動いていても、これだけ特殊な画像にかけるのだ、巧く動かない事ばかり。そして結論が導かれないと、一日いったい何をやっていたのか虚しくなる。一つ一つ可能性を潰して行くしか無いのは解っていても、ただただ疲れる。動けばかなり面白いんだろうけどね、世界でここだけでしかやられていない事だし、今の機械で中を見て解るものってプログラムのソースリスト位のものだから、まだまだ知識が追い付かない所の方が多いけどね。一日が徒労に終った気がすると、一体自分の生活の中心がどこにあるのかが不安になる。安定感を欠いて行く。日々〆切は迫る、時間の限り挑戦し続けるだけ、それだけの話。手応えが欲しい。実力の無さを痛感する、もっともっとプログラミング言語を勉強しておけばと、PC-UNIXをもっと早くからインストールして、部屋でもプログラムをいじっていればと思うことは多々ある。でも、過ぎた事を愚痴愚痴いってもね。今の不満は時々吐き出すかもしれないけど、だからこそ、挑戦を続ける。今の気力を失わないように、貪欲に突き進んで行くだけ。頑張らなければいけない時。