終わりと連続と

終りと連続の違い。どんな素的な物語でも、どんな悲しい物語でも、ページをめくっている間に、ストーリィを進めている間にやがて終りはやってくる。永遠に紡がれる物語なんて存在し得ない、永遠に続くのかと思われる位長いものだってあるが、やっぱりそれにも終りはやってくる。一冊の本を読み終える時が来るように、エンドロールがテーマ曲と共に流れるように。それから先は自らが考えて補うだけの所。これもまた楽しさを増してくれる。物語には、不連続なんだろう。テーマとは全く関係ない事はあまり表現されないし、実際心の内側なんかを完全に表す事なんて出来ないのだから、不連続性は確実に産まれて来る。一人の一人称で延々と進めようとも、表現するよりも、思考する方が明らかにスピードは早い。様々な道具が開発される事によって、どんどんと近付いてきてはいるのだろうけど、その間の差異は、補助記憶装置とキャッシュくらいの差異はあるんだろうな。一つのテーマだけで生きられるなんて無い。その事だけを考えていればよい世界。登場人物も選ばれたように出て来る。あるはずがない。同時に色々な事がおこり、悪い事は重なって起こっているような気持ちにさせられ。全く違う世界の登場人物が一同に介する。ある瞬間に頭の中を強烈なイメージみたいなものが通りすぎたとしても、数瞬後にはまるで違うものにかわっている。これらの違いは大きいのだろうか? ただ、本質的なそれは、自分以外の物語を経験出来るっていう貴重な体験は捨てがたい事。学ぶべきものは沢山ある、技術的な事、感覚的な事、哲学的な事、その他もっともっと大切な事。嘘を嘘として楽しめる。だまされたいのだろう、こんな話しなんて絶対に起こらないって事を知っているのだろうけど、もしかしたら自分に宛てられて作られたとしか思えない世界に出会う。複雑なそれが、様々な形で単純化させられる。自分以外のそれを産みたいと思う。全てがクリエイティヴ。何も無い所から産まれるものは案外と多い。