時間を大切に

時間を大切に過ごしたいと思う俺にとっては、普通に呼吸出来ない水の中に居るような時間がある事が、かなり重い。この夏、それほど泳げないであろう分、こういう時に潜っておけって事何だろうか? 考えたくないなぁこういうのは。どうせ潜るんだったら、水中眼鏡を付けて息の許す限り、そこで展開される様子を、そこでの時間を、思いっきり楽しく過ごしたいって思うタイプだと自分自身は思っているから。予告されて、海中にひきずりこまれるのだったら、まだ良い。こうして半分くらい予告無く、崖っ淵から叩きこまれるのは、一瞬窒息しそうにもなるし、気を抜くと肺の中にまで塩っ辛い水が入ってきそうにもなる。こういう事態に対処する方法って無いのだろうか? つき合いって、一緒に潜ってって話はこれからどんどんと増えていくのかもしれない。その時にどんな連中と一緒に潜るか、どういう状態で侵入するか、装備品はばっちりなのか、その辺が重要になる。これに対する期間。長ければ長いほど、微塵も無い期待とどうやって通って行くかって言う不安でいっぱいになる。短ければ短いほど、準備運動が出来ずにつらい。どっちの状況でも、俺が無音を選ぶのだろう。しっかりと目だけは見ひらいて、エネルギィを補給出来る機会があるのならば、それを忘れない。無いのならば、失わない為にも、出る方を少なくしていく。事前に提出される、潜水計画書。計画書さえ提示されない、単独潜水。パーティが居る潜水は、後々今回の計画を振り返る事が出来る。こうやって振り返る事がどういった結論を導き出すかって言うよりも、ただ愚痴りあって、罵りあって、わめきあって、ガスを抜いてやるのが最大の目的。これに対して一人での潜水はこう言う事が不可能、背後に刃物をもって立たれるような恐怖感があって、それを後々どうこう言ってやる事は出来ない。言ってもしょうがない事を知っている事がどういう事なのか? こういう事。肺を鍛え、心臓を鍛え、身体を鍛える。どういう状況でも息抜いて行く方法を学ぶ。それくらいだろう。