贈りたいから

贈りたいから、贈る。喜んでもらいたいって事も、一つの理由なんだろうけど、言葉だけでは収まらないものに形を与える一つの方法。贈るものの中で、最も基本的な力をもっているものも言葉なんだろうけど、だからこそ、そこに収まらないものは多い。加えること、アレンジする事で少しずつ近付けて行く。予定とは、ちょっとだけ違う方法になってしまったけど、計画通りに進んだからと言って、想像どおりの形に収まるとは思えない。そして、こう言う物って、金額に還元出来ない、計れない。ただ、信じてみるだけ。こうして信じていられる自分が、とっても嬉しい。逆算すれば、今日と言う日はまだまだ早い。明日でも別に構わない話、でも、祭日を明けてしまうとまた面倒になる話。今日か、明日かと問われた瞬間に出た結論が、今日だった。明日駅前にでて、予定通りの方法をとるのも一つの方法だったのかもしれない。でも、こういうのって、気持ちが乗った時が、そのタイミング。早い事も遅い事も無いはず、まぁ今回ばかりは、明日がリミットだったんだけど。今の所はまだ、自己満足のレヴェルこれがどうなるかは、判らない。でも、今のこの気持ちだけでも、俺自身は十分に嬉しい。土曜日の買物もこれの延長って言うのが一つの理由。無しでも、いけたのだろうけど、少しずつでも確実に進めていきたいものもある。もしも、を仮定してしまったら、絶対にこういう事はおきなかっただろう。いいんだよ、これで、信じたい事を信じる。自分のバックボーンと先入観はどんな時にも捨てる時は出来ない。だから悪いのではなくて、ただそうあるだけの話。その人となりが問われる瞬間なのかも知れない。少しずつ移り変わっていくもの、でも変わらないものも確かに存在する。いつの頃からか、期限を考えると判らなくなる。これも刹那の出来事だから、ただ、今の自分がそう思えている。それが嬉しい。数じゃない。