電話って機械

やっぱり電話って機械は好きになれない。ちょっと、うつらうつらしている時に、騒がしい電話のベルで起こされる。伝えられる言葉も、あまりにも突然。いったい何があったのか? 何が目的でこういう手段に及ぼうと言うのか? 覚醒した今の頭で考えても、一向に答えは出て来ない。相手に対して、不快感を与えたのなら、それは間違いなく俺自身の落度となり得る。だけど、その与えた不快感が、何も思い当たる節が無い時。ただその時に判る、悲しませてしまった事を誤るべきなのか? それとも、その時の原因を突き止めるべきなのか? これに対する答えも、TPOによって大きく違って来る。ただ、この違いを把握仕切る程の力は、まどろんでいる最中の脳には無い。こういう時の良くある手段としては、覚醒した後フォローするって事だろうか? だけど、そのフォローがいったい何になると言うのか。単に問題に直面する事を先へ先へと延ばして行くに過ぎないのでは無いだろうか? ゆっくりと話してその場の結論を導き出せたとしても、それはあくまでその場のものに過ぎない。その先返ってその結論に縛られてしまっては、意味が無い。そして何より、傷つけた物を完全に癒す事なんて出来ないのだから。許す事、許される事は出来る。でも、これと完全に癒す事はまた違う問題。許しを求めているのならば、許したいのならば、また次に行うべき行動も違って来る。でも、そうでは無い。こんな事に悩んでいる自分と同じ所に、清々している自分がいる。この認識は忘れてはいけない。どこかで、こうなる事を望んでいた自分。自分が思い込もうとするほど、焦ってない自分。これらを含めて全てが俺なんだから。なんで焦ってないのか? 色々と理由は考えられる。様々な要因が絡み合って、全てが原因になりえ、どこかここ以外にも結果が示されている。自らの中にも数多くの立場があり、お互い監視しあって、お互い協力しあって、お互い足をひっぱり合っている。そこまで判っていれば、今の俺には十分。急いではいけない。