不確かなものを確かにするために

結局、不確かなものを、確かであるかの様に錯覚して毎日を過ごしている。自分が信じているものの不確かさに気がついた時、いや、もちろん、普段気がついていて、気がついていないフリをしているものなのだろうけど、そんな時の気持ちと言ったら、今までの自分の強さって言うのはどこに行ったのか判らなくなるような事としか言い表し様が無い。気が付かずにすごせる事が理想なのだろうか?それとも、気が付いてこの事を考えられる方が素的なのだろうか?差異はそれ程ない。情報のやり取りも、コミュニケーションの手段もどんどんと多用化してきている。そんななか、同時性を必要としない最新鋭だろう手段と、最古参の手段の両方を愛し、両方を積極的に活用して、両方で思いっきり楽しんでいる。そんな事をしている余裕は無いのではないか? と問えば確かに無い。でも、こういう風に心を動かす事が出来る事って早々たくさんあるわけじゃない。だからこそとっても大切にしていきたい。ただ、たびたび分らなくなる。自分の本当の本質めいたものが何を求めているのか?まぁ分って生活している人ってほんの一握りも居ないのかもしれないけど……はまり込んでいる自分を客観的に見つめる自分が、もっと誠実な対応をしないといけないぞと訴えかけてくる。決定的な差異はない。