事故

兵庫県は明石の大蔵海岸って所であった、花火大会。その帰り道の駅で起きた100人規模の将棋倒しの事故。怪我をした人、亡くなった人、TVのニュースで搬送先の病院や被害状況を繰り返し繰り返し放送し続けている。ようやく夏休みを迎えた小学生を含めた9人が今報道されている亡くなった人数、かなりの大事故。怪我をした人は私と同じ代の人も多かったらしい。淡々とした顔と声で伝え続けるアナウンサ、仕事をこなす伝えるプロ達。インタヴュに答える現場にいた人達。駅の名前は記憶になかったけど、明石の地名は、毎月の様に乗っている特急スーパはくとで通る線だから、何よりも私の恋人も今日兵庫県で花火を見たって言っていたから、より身近に考える。

知った順番は、三ノ宮に行くって事、無事に帰ってきたって事、花火をみたって事、そして明石で事故があったって事の順。もしも花火を先に聞いていて、事故を知ったらどんな気持ちになっただろうか? 行った場所はまるで違うってのは頭では解っていたのだけど、花火、JRってキィワードが回り続けるような気がする。今回知ったのが、落ち着いて聴ける順番だったのは、ホントよかったと想う。

こういう事故のニュースを聞くたびに、事故は日常の至る所に転がっているものなのだと実感する。。どれだけ自分が気を付けようとも巻き込まれることだってあるのだろう。元気に行ってきますって出ていって、無事にただいまって帰ってくることが、いかに大切で貴重でありがたいことなのかって事を考える。かといって心配しすぎることが杞憂に終わることも多い。だけど、心配したいから心配するのではなく、気が付くと想い考えている、心配している。

最愛の人がすぐに逢えない距離にいるっていう事実。今日も無事であって欲しい、今日も元気であって欲しい、今日も笑っていて欲しい。