よしもとばなな『デッドエンドの思い出』

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

今年1冊目。

「幽霊の家」
短編集は一編読み終わったら、
ふっとページを閉じて、目を閉じて、
胸によぎる世界に身を浸す時間が幸せ。
次のページへすぐ進むのではなく、味わう。
ゆっくりゆっくり朗読するようなペースでね。


何か1つ違っていたら今という時はありませんでした。
続く人とは永遠に続いて行くし、
ただそのときだけの関係で終わる人も居ます。
その違いって何なんだろう? 続けたいって意思? 自分も相手も?
自分だけでなく、相手だけでなく、
ときめきでもない、沸き立つなにかでもない、形。
若さゆえの思い、少しだけ年を重ねたから今だからこそ言える想い。
今はすれ違って遠く離れているとしても時間を経て交わる時がくる、
交わるから寄り添い歩く道を太くすることもまたできる。


少しだけ先に続く夢があるからこそ、一歩一歩今を生きることができる。


「おかあさーん」
死ぬことを知った人から得られた生があります。
明日死ぬかのように今日を生きています。
日々精一杯生きているからこそ、ゆっくり休むことから見え始めます。
ほんの少し選択肢が違っていれば、全く別の時間があったのかもしれません。
その別な時間ですら、今とはそれほど変わりはないのかもしれません。
ないもの同士、比べられないもの同士を想像の中だけで比較しようとしています。

体があって、ここにいて、空を見ている。私のいる空間。

私はここにいる。ここにいる私のいる空間。
確実なことが少ない世の中での
数少ない確実なことなのかもしれません。
今ここにこうして生きていると自分の心で感じています。


「あったかくなんてない」
町の灯り、
家の灯りに心を躍らされる経験はそこでの生活を想像させるのかもしれません。
ほっとした、日々の何でもない幸せ。
当たり前のように日々を過ごすことの出来る幸せ、とても大切なこと。
時の流れはそんなことすら吹き飛ばしてしまうように。
変わらないものは何も無いからこそ、
時の流れに圧倒的に連れて行かれてしまいます。
世界の流れを大切に、小さな波紋をも飲み込んでいくのでしょう。


「ともちゃんの幸せ」
1人でいるときに感じる幸せと寂しさと充実感
1人ではいるのだけど、そこで会話している自分と自分。
少し遠いようでとても近いようで
なにものからも見放された時にも自分とその目に見えない充実感だけは見放さないでいてくれるます。
何かをしてくれるわけではありません。
ただそこにいるだけの
でもそこにいてくれることの何と心強いことか?
永遠は?
奇跡は?
ここにあります。


「デッドエンドの幸せ」
昔の友人に連絡をすることもあるし、それで会うこともあるけど決してその時の時間は帰ってきません。
どんなに輝くときもそうだからこそ今が大切なのです。
その今の一瞬の輝きがこの先の生を光らせてくれることは多々あります。
もしもいつか死ぬ時に思い出すのは
そんな光り輝く幸せな時間ばかりなのかもしれません。
気がついたときには、通り過ぎてしまっている時間。
後から思い返す時間。
平和や幸せの象徴のような時間。


最後まで読んで。
一冊の本として、一編一編表紙から思い返していると
とても幸せな気持ちになれます。