修辞法

修辞法を学ぶ機会は今までどこにあったのだろうか? 作文の授業は小学校の時に受けた、だけど中学校高校と文章を書くって事を専門的に学ぶ機会なんて無かった気がする。原稿用紙の使い方や、短歌や詩のもっとも基本的なところ、物語を創造する力、日々の記録を残すこと……これらはすべて小学校に通っていたころ教わった事。中学校の国語の授業では作品毎に一口感想を書くことがあったけど、それで、巧い文章の書き方ってのは無かった。こういうことってどこから習うことでもないんだろうな。自分が好きで文章を読んでいて、それが自然と自分の身に付く。ここまでは普通の本好きな人。そしてその中に使われている技を自分の物にしようと文章を書いてきた、本読み。書き続けているだけでなく、その文章を客観的に添削して、さらに向上しようと思って文章を書いていれば、自然と巧い文章が書けるようになってくるのではないだろうか。巧い文章とは? 書きたいことが無いのに書いていてもその文章を読ませることなんて無理。基本は書きたいって気持ち、その先に相手がいて、そしてその相手にいかにして表現すれば的確な文章になるかの技がある。手紙文と未来の自分のためだけに読ませる日記と、ここのようにWebに上げるエッセィ調の文章と、作品と呼ばれるものと、使われる言葉からして違っている。だが、共通して意識したいことは、いかに明確に伝えるかってこと。自分の中に留まっただけの文章を誰が読んで面白いだろうか? 自分すら面白いと思えない文章の持つ危険。自己同一性と独り善がりとの違いはあるのだから。そんなことを思いつつ、書きながら俺は文章の書き方を学んでいる。