後悔

やらなくてする後悔よりは、やって後悔したい。やらなかった時、あの時こうしておけばよかった、あぁしておけばよかったと思い返してしまうよりは、やって力が足りなかった事をタイミングが悪かったことを、そして全く勘違いしていたことを知る方が、自分の中でどれだけ落ち着くか。どうやったって、先をみることはできない、だからこそ精一杯努力してみる。それが結果を伴うか伴わないかは、やってきてからの話。その時の感情が命じたことに従って行動する。後から振り返って悔やんでもいい、どんな道を選んだって悔やむことはあるのだろうから。そこで否定すべきは選択したことでも、選択枝でもないはず。昨夜の俺はかなりの自意識過剰だったように思う。まぁそれだけ自意識過剰になれる時間がまだ自分の中にもあったことは喜ぶべきこと。知らないよ、俺には関係ないよ、で済ませることだってできる話を、自分の中にまで近付けて考える、考え過ぎる。一瞬の自失。自分のことよりも、精一杯になりたいと思った瞬間。自分の力が見えなくなり、小さな力が悔しくなる。言葉に還元すれば単純な感情を収拾つけられなかった自分がいる。そんな状態が自意識過剰。自分の力の足り無さを呪った瞬間。助けを求めてくれた人を最後まで救うことができなかったと感じてしまった時。人が人を本気で守ることができるなんて思えない。そしてそんなことをしてはいけない。だからこそ、力を貸したいと思う、禁忌に触れたいと思う。同じ言葉しか伝えることができない。この機会に乗じてぶつけるようなことだけはしたくない。タイミングが悪いと良い言葉さえナイフのように斬り付ける。目に見えない傷ほど治りが遅い。