何がどうして??

自分がこれだけ想っている事は、相手の為じゃなくて、自分の為なのか。そもそも、本質的に人の幸せを祝うと言う行動が存在しえるのか。全てがポーズに過ぎないのではないか。対象の事をただただ純粋に想い、想い続けるのはファン。対象の周囲の状況にまで気を配りはじめ、対象の存在が曖昧になって、その事にまでよろこびを見出しはじめるのがマニア。対象と自らの関係を考察しはじめるのがオタク。そういうふうに定義している人がいた。物事は自分で決める、正しい間違っているとかは関係ない、内と外を自分で決めるように、好きと嫌いの指針が自分の中にしか無いように、選んでいく。世間に洗脳される。されなければ生きていけない。大きな誰にも見えないけど確かにある、大きな手、社会不適合者のレッテルを貼られていない人はそれなりに、洗脳されているのかもしれない。これで悩んでいてもしょうがない。そこで自らが何を選び、何を大切に想うか。洗脳されているといっても、その力は失われていないのだから。ちょっとした影響で弱る事も、元気になることもあるけど。そんなものと心中するのもばかばかしい。自己満足の連続。しょうがない、テレパシィを持っていても、何かが見えても、見えない物はある。相手がいるから存在しえるものってあるのだから。それが全てではないし、すべてであって欲しくない。一瞬の情熱につき動かされる。自らが可愛いからなのか、全てが偽りなのか。信じられるものは何もないのか。そこを攻めてはいけない。受け手によっては一つの物事の答えは違う。哲学って名前をつけて、何千年も考えられた事がある。そんな名前をつけなくても、普通考える人がいる。単純な物事が複雑に絡み合う。ヒトの寂しさを癒す事なんて誰にも出来ない。一瞬そうでなくなっても、またそいつは襲って来る。その一瞬の為に選ぶ。永遠も絶対もあって無いもの。きれいはきたない、きたないはきれい。