知っている場所で起こること。

事件発生から一週間経ちました。
TVも新聞も読まない私のニュースソースは、
WWWと職場での同僚との話題。


色んな角度から分析? 評論? 報道? 様々な論調があるんだなぁと、
事件そのものよりも興味深く事件に対する人の意見を読んでいました。
秋葉原と言う土地柄をより強く押し出したもの。
そこから始まって、オタクだったりアニメだったりゲームだったりに論を進めたもの。
歩行者天国がよくないって話で、歩行者天国を中止するって話だったり。
その日その時自分が現場にいたことを経験談として表したもの。
そこから始まって、現場の映像のインターネット動画で放送したことととらえたもの。
そこから発展して、マスコミの報道姿勢と個人との対比を書いたもの。
容疑者の経歴や職歴を書いたもの。
友達がいるいない、恋人がいるいない、って論調。
派遣社員だから、正社員ではないから、挫折を経験したから。


みんな、違うところ探しをして、
なんでこんな事件が起きたのかって原因を分析しようと総評論家になっているよう。
ただいつまでいってもどこまでいっても、原因なんて判るはずはありません。
所詮と言ってよいのかどうかは判りませんが、容疑者って他人ですから。
他人のことは絶対に判りません。
納得感はその人自身の中にしかないので、自分が納得すればそれまで、
それは本当の原因ではあるわけがない、自分なりの答えなのでしょう。
他人の考えの中に、似ているところを探して違うところを探して、
安心感を得ようとする? 視聴率を得ようとする?
良い悪いではなく、事実が凄惨であればあるほど何かラベルを貼って一段落させたいのかな。



私自身にとって一番大切なことは、
私がどうしたいか? 何を思うか? 何ができるか?
もしその場にいたらって想像することはできるけど、その場にいなかったので想像です。
でも想像してみることは大切。
事件ってものからみたら、何年も前から起きていた事件だし、
秋葉原にいかなくても、今住んでいる町で通り魔事件が起きてもおかしくはありません。
地名がたまたましっている地名だったけど、
その町に住んでいる人だっているし、今住んでいる町も起こりえます。
容疑者が被告になって犯罪者になって受刑者になって、
その人につくものが少しずつ変わっていくのでしょう、この先の報道では。


どんな事件が起きたとしても他人事ではなく、
いつまでも忘れることなく、自分のこととして考え続けることができるか。


改めて生命を失った方々のご冥福を慎んでお祈りいたします。