表現者としての私

こうやって文章を書くことって、私の中では表現の一形態です。目的は自分の内側で考えている無限の世界をどこまで有限の世界であらわすことができるかを知ることでしょうか。どこまでも突き詰めていきたいんです。瞬間は言語ではないのですが、その先を考えはじめると言語になっていきます。その上に言語を重ねていき形を残していくんです。

考えたことがなければ、自分の中の世界がなければ何も書くことはできません。考えるを続けて行くととことんまで突き詰めることはありますし、その先をみてしまうと限界なんてありません。だから無限って気持ちになるんでしょうね。その無限の思惑世界を有限世界に閉じ込めることで世界がはじまります。

スタートは自分が楽しい、自分が楽しいからもっともっと楽しく巧くなりたいと思う。自分の楽しさを知っているからこそ、誰かに楽しさを伝えられるくらいの技術は身に付けたい。それらの技術を制御できるのもまた技術。どんなものでも切り替えられるのも技の1つですからね。考え続け進み続けるものです。

考えるのも表現するのも両方とも手段。大切な目的は、感覚というような物を見る視線を磨くことです。そうやって磨くことで見えてくる世界を見てみたいんです。私は。私自身の考えにすら動じない世界が生まれてくるのでしょうか? それとも全く違う世界がそこには隠れているのでしょうか?