雑誌

毎号買っている雑誌の内の一冊に「ダ・ヴィンチ」がある。本に出会う入口として活用している雑誌。「活字倶楽部」とは全く違う視点から本を紹介してくれる。今回から、新しい連載が幾らかはじまっていつも以上に楽しく読む事ができた。だが、読了後その新連載達よりも私の心に残っているのは、田口ランディの「聖地巡礼」だった。

田口ランディの文章はここでしか知らない。ホームページで最初文章を書いていたとかは聞き、本屋で数冊の作品を手に取った事はあるのだけど、結局買ってない作家。連載がはじまった頃は、聞いたことある名前だなぁって程度でざっと読んでいたのだけど。今号はじっくりと3回も読み直していた。とりあげられていた聖地が「ヒロシマ」だったから。広島駅にはじまり爆心地、原爆ドーム平和公園三滝山へと続いていく。

私は広島市で生まれて、大学に進学するまでの間ずっと広島市で育った。戦争について平和について、物心付く頃から当たり前のように勉強してきた。本文中に記述されている平和公園原爆ドームには何度も行った事がある。街中で遊びに行くときに自転車で通道筋に原爆ドーム平和公園があるのだ。作者の視点を通して、私が見たその場所を思い出しながら読んだ。「広島」と「ヒロシマ」作中でも分けられて使われている。他にも「廣島」の表記の仕方もある。地理的場所は同じなのに、言葉から想像されるものは全く違う。

この連載を読んで思い出す、最近のニュース。数日前から、米国が報復と称して空爆をはじめたらしい。報復に報復が重なる時に何が起きるのだろうか……、民間人と軍人を完全に分ける事なんてできるはずがないのに人を分類し、正義は我に在りがごとく、爆撃は続いている。こうやって文章を書いている今も行われているのかもしれない。こんな時、単にここが戦線から少し遠い場所でしかない事を意識する。この少し遠いだけで、私は何も変わらず朝起きて研究室でプログラミングを走らせる事ができている。ともすれば想像力を鈍くさせるような現実が怖くなる。画面の向こうで展開される映画ではなく、この地球上で同じ人間同士がやっている事だと言うことを忘れたくないのでTVの電源を抜いた、今までも殆ど見ず主電源も入ってなかったTVなので生活は何も変わってはいないのけど抜いていみた。部屋の音と明かりを消して遠くに耳を澄ますと聴こえてくる物があるかもしれない。

政治や宗教についての問題提起はする気になればできるけどそれはしたくない。反対意見だけなら誰にだってだせる、全く脳みそ使わなくてもできる。考えなければいけないのは、私には何ができるのかってこと、その問題に対して。怖いよ不安だよっと言っていたら誰かが何とかしてくれるような世界じゃないからこそ、自分の力の小ささを十分認識しているからこそ、私にできる事を探し実行する。

私は広島で生まれ広島で育った。田口ランディの言うところの聖地で育ったのだ。戦争とは、平和とは十二分に考える土壌がある場所で育った。

今、私は生きている。