何かを書く

私もこうして毎日のように何かしら書いているのだけど。WEBページには、似たように毎日書いてアップロードしている人がとても多いように想う。「日記」って言う形での自己表現。古くは日記文学って物があった、今で言う日記ってよりは随筆に近いイメージを持っているんだけどね。「更級日記」とか「蜻蛉日記」とか文学史や古典の講義では覚えさせられるのだが、通してすべてを読んだことの無い作品達。まぁこれだけの期間読みつがれているのだから、歴史に耐えうるだけの普遍的な物がそこにはあったんだろうな。

今こうやって沢山WEBにあるWEB日記ってのは、数百後数千後にはどういう物になっていくのだろうか。まぁ手書きがタイプになった事ってメディアの変化でしかないのだろうから、そこって本質じゃないのだろうからね。でも、日々を書き留めるって習慣がある人と無い人は違うんじゃないかなって想う事はある。その書き留めた物を発表する発表しないって事は別にしてね。書くって事が日常にあると、世界をそのように見始めるし、読んだ文章から世界を構築することもまたはじめるのだろうから。世界の捉え方って言葉だけじゃないから、書く事が素的だとは想わないんだけどね。

その時、一億総ネット作家になった時がどうなるのかって事を考える。誰もがマスメディアとして表現出来る事がネットの1つの特徴だとは想うけど、発表する人ばかりでは誰が読むのだろうか。読んで欲しいから書くのか、書きたいから書くのか。でもネットにある文章で読んでいて面白い文章ってホント少ない。その作者を知っているとその文章の楽しさはあるんだけど、全く知らない人の文章だけど引き込まれるってのは、なかなかいない。カラオケに想像が飛ぶ瞬間、歌いたいから歌うのか、聴いて欲しいから歌うのか。歌っている人の歌を聴かずに自分が歌いたい歌を探している雰囲気がある時。仲間内だから楽しいのだろうけど、初対面でそれをやったときにどこを共通としていくのか。何で見せれば良いのか。

自分の書くものを振り返る。知らない人が読んでも楽しめるエンターテインメント性はあるのだろうか、時事問題があったとしても、歴史に耐えうる普遍性はあるだろうか、世界に愛情はあるだろうか。文章を書いている私を観ている私。私の書いた文章を読む私。本質を見極める視線を磨き続けたいと務める。