見習い

見習いたい人たちというのは、誰にだっているのだと思います。

人に親切にされるとまた誰かに親切にしたくなります。その親切は形として目に見える事もあります、心の奥に響いてくる目に見えにくいものもあります。そうやって表現されるものだけではなくて、その表現したい気持ちなのでしょうね。ですが、そうやって気持ちに形がなくて、伝え合うものに絶対的な評価基準がないから、より素直に伝えたがる言葉に多くの力を込めようとするのです。言葉にしなくても解るではなくて、言葉にしないと解らないでもなくて、もっともっと伝えたいからこそもっともっと素的な言葉を使いたいのです。

親切にされると誰かに親切を返したくなります。人の親切を享受するときは、目一杯心一杯受け取りたいと思います。その時に必ず感謝の心は伝えます。感謝するだけではないですけど、感謝することははじまりです。そうやって受ける親切を1つ1つ覚えておくのではなくて、そうやって受けた時の心の温かさを覚えていたいのです。そんな思いを贈りたいと思うから。周りに親切でありたいと思います。親切にする嬉しさも親切にされる嬉しさもどちらも自分の中ではとても大きなものなのです。

申し訳なさよりも、その行動にその心情に心の底から感謝を捧げます。そして私の内でとどめるのではなくて、その心を世界に広げたいと思います。まずは周りから。それが徐々に広がっていけば希望が輝くのでしょう。

観てないのですけど、予告編だけ観た映画で、そんなネタを扱った物があったような記憶が書きながら蘇ってきました。