記念日

56年目の広島原爆記念日でした。何度か寝過ごした事もありましたが、今日はその時間に目を覚ます事ができました。あまり活用していないTVをつけてそのTVに向かって1分間目を閉じた私です。私は地元が広島で、祖母が被爆しています。よく言う言葉では原爆三世って事になるのでしょう。今日のTVではもう四世が小学生になり、堂々と宣言をしていました。こうして少しずつ少しずつ歴史は流れ移り変わっていくのでしょうね。今1でおよそ7500人の被爆者が亡くなったそうです。ですが およそ1000人に対して新しく被爆者手帳を交付した事もしりました。数字で並べてみると実感が薄れますが、この人達それぞれに物語を持つ人生があった事を忘れてはいけません。

私は祖母から被爆体験を直接聞いた事はありません。いえ、小学校低学の頃に一度訪ねたような記憶はあるのですが、あまりハッキリとした話は聞かなかったように記憶しています。学校の授業の一環として行われる平和教育や自分で興味をもって読んだ資料見たTV番組友人達との会話そして、平和記念公園の資料館などが私の原爆知識です。広島だけでなく修学旅行の際に長崎にも行き、そこの資料館も見てきました。話も聞きました。どれだけ恐ろしいのかどれだけ不安なのかこの世に地獄と言う物をあらわすとあぁなるらしいです。

ですが、私達はその原爆のエネルギィと同じ原理で産み出されるエネルギィを発電につかって、今こうしてディスプレイにむかって文字を書くためにも使っています。人の技術とそこに予算を割けるだけのゆとりがあれば、このエネルギィは安全なのでしょう。では安全だからと言って自分の家の隣に再処理施設や発電所が出来たらどう思うでしょうか。技術者として安全面を訴える事はできるのでしょうが、それだけでは解決できないのかもしれません。誰もが今以下の生活をしたくないと考えると、エネルギィの3割カットは無理な話です。私は全く別々の事を同時に考えようとしているのかもしれませんね。

結論の出ない浅い思考なのかもしれませんが毎この日には考えさせられます。