あの日から

阪神大震災から6年。毎この日を迎えると思い出す、あの日の事。朝・昼・夜、ニュースが伝わってくる毎に次第に明らかになる被害の状況、その日だけでなくそれ以後の災害への対応を。そして それ以降現れた、様々なこの地震の事を扱った作品達。ライフラインは復興した、新幹線はそれほど間をおかずに復興した、建物もこの6間で復興されて、今では震災の爪痕も目立たなくなってきているらしい。でも、目に見えないものの大きさだけは計り知れない。戻ってこないものを見つめるのではなく、喪失感を抱えて生きぬいていく。そうしてこうしてこの日が来る度に思い出す。とても大切なことを真剣に考える時間。俺は阪神地方にはいなかったので、ケガをする程の大きな物を失う地震だったわけではない。でもだからこそ、自分で受け止めようとし、受け止めることができたのかもしれない。これらを扱った作品に触れる度に自分の考えの至らなさと対話し、自分の考え違いを改める。あの日だけでなく、そこからはじまった約1ヶ月の時間の流れ、マスメディアの無力と威力を痛感したのもこの頃。自己満足と突き詰めて考えることと。去の晩秋に起きた鳥取県西部地震、そしてつい先日にも起きた兵庫県北部の地震。揺れている間は何も為す術がない、ただ揺れが収まるのを待つだけ、待つことすら叶わなくなったらどうなっていくのか。今立っている足下が揺れる、修飾じゃなくて本当に地面が揺れる。今立っている所がまた揺れないとは限らない。何を備えるべきなのか、俺にできることは何なのか。起こるかもしれないと想っていたことの上の事件が起こったときにどうなるのか。行政の対応と何より自分が何を選ぶかということ。知っている事を力に変えて、忘れずに。ふとある故事を思い出した。