言葉への心

意識を持つ。言葉を発することに、意見することに、ページを管理していくことに。ここに書いてある文章は誰に読まれても恥ずかしくないものだし。どんな人でも読む事が出来るのだということを。ハイパーリンクの特性の1つアンカータグ1つで世界中のウェブと繋がる事ができるのだから。全ページに名前とメールアドレスを書いておくのが最も良いのかもしれないけどindexへのリンクは貼ってある、どこからでも数回バックすればホームへ戻れるように。誰が読んでいるか解らないけど、不特定多数には書いてない。ロボットサーチエンジンを嫌うタグも付けているし、今のコンテンツで掲示板等で宣伝する気もない。俺をある程度知っている人が読んでくれれば良いなって思いが強いメールのシグネチャだけで宣伝しているページ。書きたい事をかいて、リンク貼りたいページにリンクを貼って。創作とか芸術とかじゃないだろうな。何なんだろう……ここにあるのは価値観って言葉で置き換えられるって言うと格好良すぎかな。でも自分以外の価値観に触れる事ほどスリリングなことって早々ない。辛く切ないこともあるけど、幸せを感じる時だってやっぱりある。テキストだけで構成される世界はある一面を強調する事が容易に出来るのやもしれない。知らず知らずのうちにやっているのかもしれない。だが、こうして長い期間色々な物を書き続けていると、見えてくる面が違ってきたように思う。書き手は一人なのに、時間によって環境によって。読む価値はあるのか? 価値ってものに意味はあるのか? 意味なんて必要なのか? 客観的視点と主観的視点を瞬時に切り替えられる頭の柔らかさ。俺には備わっているのだろうか。時々振り返る夜もある。まだまだ足りない。