自分だけ?

なんだかね。自分だけの時間を大切にして、公私を履き違えるのも大人気無いとは思うけど、だれがこの会をしっかりと考えてやっているよ? 開く方も開いてもらう方も、去年の慣例に従ってそのままの会を運営しているだけに見えて仕方が無い。だからサークルとかで夜に行われる呑み会が盛り上がるんだろうな。直接かかわった分祝いやすいし、祝ってもらっても嬉しいのだろう。実際卒業式で一番盛り上っていたのは、式場を出たところでやっている、サークル達のはず。独自の雰囲気を各サークルが作り出している。謝恩会自体もそう、感謝や恩義を感じていればそれなりの会になるのだろうし、自分たちから開こうって言葉が出るのだろうけど、なーなーで進んで行く会の進行。なんか形式を押さえて、これだけやったんだから、いいでしょって言っているようなもの。でも結局誰に認めてもらいたいのかが分からなくなっているから、それだけの存在でしか無い。精神の瓦解したものって無くしてしまっても良いと思う。形じゃなくて、気持ちでしょ、御祝いなんて得に。それを表す方法って形以外にも色々なものがあるはず。ただ、ここでだらだらと愚痴愚痴と言っていてもね、話は進まないし変らない。一応主催する立場の人にどうなっているのか訊いてみたけど、俺よりも頭の固い上の立場の伝統って言葉だけに縛られている人の力が強くて変えられなかったらしい。主催者が同じような気持ちを持っていてくれた事は嬉しい。誰もが最初は同じ気持ちでいるのだろうけど、気が付いたら、忘れている。初心を持ちつづけることのいかに難しいことか。でもまぁとりあえず卒業。二週間もしないうちにまた入学式があるのだけど、とりあえず卒業。何もする気はないけど、卒業証明書を貰えて免許証も貰えて。また自分のスキルアップのために努力を積み重ねる道を歩き始める。苦手な人もいるけど、そこでへこたれない力を培って行く。ここでしか学べないもの。