人に会うと同じくらい大切な、場所に会うこと。道の一本一本に建物ごとに色々な思い出が生きている。昔を懐かしむことと同時に今生きているこの街を見つめることも好き。過ぎ去り行く今と呼ばれる時は逃してしまったらもう得ることはできないのだろうから。ぼーっとしていても時間は過ぎるし、頭に何か詰め込んでいても時間は過ぎる、そして心がふるえても時は流れていく。その時に自分が楽しいと思えること、同じ行動でも時が違えば自らに与える影響は驚くほど変化をみせてくれる。楽しいと思えること、楽しいことすら疑ってかかること、何がしたいのかを考え、それがどこまで見据えていることかを考える。言葉巧みに自分の力を大きく見せることも可能なのかもしれない。だけど自分の力は自分が一番よく知っている。出来ないことを出来ないで通せることが出来ることに対してより大きな自身を生み出してくれる。両者の境界線が引けることも自分にとってはとても大きい。自分自身をだましていてはいつかきっと苦労するのだ。なんてことを考える休暇もある。もちろん言語化出来ないことの方が多く考えられていたのだろうけど、保存も伝達も出来ない知識には価値が生まれない。満足と安心がそれにつながるか? まぁよいでしょ。さてさて。四度の温度の違いは限りなく大きいよ。春よこい。