具体的に

やりたい事は具体的に考えられなければいけない。漠然ととらえられる事も大切なんだけど、いつまでもその段階で足踏みしていたら、全く前に進まない。それを叶えたくないのならば別として、本気で実行したいと思う事は、自分でハッキリとらえる事からはじまる。小さな事でも大きな事でも、そう。抽象的な事が一番難しい。自分でも何をやれば良いのか判らなくなり、次にどの道を選ぶべきなのか迷いを産みだし。いつの間にか悩んでいる迷っている事自体に迷いはじめてしまう。具体化する事と形を与える事はまた似ているようで異る。もしかしたら全く似ていないのかも知れないけど。こうやって文章にする事は形を与えている。思考は形でも色でも大きさでもない、言語化出来ないもの。その思考に言語と言うフィルタをかけて、こうして文章化している。今の状況は全く先が見えない。あと一ヵ月ばかり続くこの重く苦しい状況。自分がやっている事を把握しているのだけど、それを伝える事が出来なければそれは無いのと同じこと。今俺がやっている事は世界で俺だけしかやっていない事なのだから、俺の目の前で世界がわずかづつ進展している。だけど、これがつたわらなければ、結局単なる自己満足に終ってしまう。終っていてはいけない。自分のページの様なそれが認められる世界ならばまだしも、特定のそれもこの道の先人達に、論理的思考やオブジェクト思考を日常茶飯としている人達にこれを演じなければいけない。人達と言っても、最初の山さえ越えてしまえば後はなだらかな平地にしかすぎないのだろうけど。その為にこの週末夜中にやって来て少しずつ作業を行なうつもり。大体の所は済んだ。どっちにしても、自分で出来る範囲まではかなり早く達するような気がする。年末そのために時間を作っていたのだから。なんだかんだと言っても、そんなものでしかない。クリアしなければいけないものが具体的だったり抽象的だったり。明日は予定を変更で午前中からのスケジュール。そっちの準備をしなければいけない、昨日の段階で半分終らせているので、それなりに余裕とみているのだけど、始めてみないとわからない物のうちの一つになりそうな気がしている。他にも片付けておきたい雑用は多い。雑用の楽しさは成果が目に見えて判ること。思考は形を持たないから。ルーチンワークにカウンタ変数をいれて再帰を何回行なったかを計算させる。別にこんな計算しなくても普通に回しても関係は無い。人間の仕事がそこの世界に入り込むのか。こうした文章は駄文の連続、結局主張は一貫しているのだろうけど、文脈に流れが無い勢いだけで書いているからそういう風になる。それが出来る環境は貴重。言いたい事を言っているうちにまとめているのかもしれないし。書いて来て見えて来るものを探しているのだから。今年はいかして作品を書いてみる予定。