情報のアナログ化

最近ドンドンと情報をアナログ化するようになってしまった。PCを買った当初は手もとにある手書きのスケジュール帳だとか住所録だとか電話帳だとかをどんどんとPC内部に打ち込んで行って居たのだが、ここに来て全く逆の作業をやっている自分がいる。ほとんど全ての情報をノートで整理している。PCを使ってやる事はこういう文章打ちだとか、発想の手助け、部品の組み立てだとかプログラミングとか言った事ばかり。ノートに手書きしはじめた情報は永続性を願うものばかり。ディジタルのメリットは一度ディジタルにしてしまえば情報を加不足なく変換する事が容易だし、様々な形に加工をする事も出来る。膨大な量の情報の中から目当ての情報を見付ける事だって、ディジタルの方が何倍も素晴らしい力を発揮してくれる。だが、弱点として大きいものがある。フォーマットが違ったら情報にアクセス出来なくなる可能性があると言うことだ。プレーンテキストの情報にこれから先アクセス出来なく可能性は考えたくないけど、それでも文字のコードは様々なパターンをとりえる。ましてや商品として売られているソフトウェアが一体いつまで発売され続けるのか? それが無いとしても、フロッピィやハードディスクなんかの記憶媒体自体が使えなくなる可能性だってある。こういう物は永遠じゃなくても、情報は永遠であってほしいもの。いや、永遠とは言わない、20年先に今のフォーマットで作った物を使い続ける事が出来るのだろうか? ハードの進化のスピードは妖しい位に早い。昔の技術が進化のネックになっているとしたら、ある程度の対応と言うスタンスだけは示しつつ、どんどんと新しくなっていくのだろう。実際カセットテープに記憶するってもうやってないのだから。今のカセットテープ見たいな状況にフロッピィディスクがなったとしてもおかしくは無い。研究室に眠る過去の遺産なんてほとんど見られないものばかりなのだから、5インチを再生出来るドライヴ自体が無い。そうやって考えると紙の素晴らしさに恐れ入る。加工や検索はかなり面倒だけど。すぐに立ち上げる事が出来る気軽さや閲覧のしやすさは比じゃない。そして1000年ペーパとか言って宣伝している様に本気で1000年持ちそうな気がする。大和時代の文字は今でも読めるのだ。まぁそこまで広く考える気は全く無いけど、キィボードで書くのと同じくらい手で書くのが好きなだけ。部分から創造しなくて良いものは順番に進んで行くものは手書きを好む。このコーナは勢いで今まで同様進んで行くのでしょう。プリントアウトして残して置くって方法もあるのだろうけど。そこまでするのも何だかね。今年は書く事に励みたい一年。温め続けた物をそろそろ形に、形にする事で見えて来るものを見付けに。