世間とは違う

世間的には休みだったらしいけど、俺には関係ない一日。カレンダが赤くなっていようが、やらなければいけないものが残っていればこうしてやってきて一つ一つの仕事をこなしていく。目に見えて進んでいく分、雑務な作業は指向を授かる。一台だけならば数時間に一回のチェックですむのだろうけど、それでは話が間に合わない。5台の計算機によって計算をさせ続ける。最も遅い計算機に合わせて一日のスケジュールを確立する。どのタイミングで休憩をはさむか、どのタイミングで今日のノルマとするか? 無理をしても、後が続かなくなってはしょうがない。自分の限界は自分が一番良く解っている。自分で制御出来ないスピードを出しても、制動装置が壊れるだけ、アクセルワークも大切だけど、ブレーキングの技術はそれ以上に大切なもの。まだまだ、大丈夫。雪がやんでくれたのが、嬉しい。何よりも道を歩きやすくなったのが嬉しい。いかにも人の手が入った事を言うような形で溶けている雪。まだ残っている所は氷のようになっていて、ちょっとやそっとの事じゃ溶けも壊れもしない、俺の体重を支えられる強さを持つ。月光がその氷に反射される。月夜のお茶会をしたくなるくらいの、お月様。今まで夜は曇空か、雪が続いていたので、なんかとっても懐かしい気持ちになってしまう。月の光が狂わせる。上弦の月下弦の月表面に過ぎゆく年をみる。まだ見ぬ年に思いを馳せる。鬼の笑い声が聞こえる。都合がつく、都合をつけられる。どこにあるのか、どこをめざしているのか? 今こうしている事も元を正して先を見つめていると、どこかの中の一地点にしか過ぎない。判らないと言える事の強さ。ある程度判ることと、ある程度しか判らない事。それを決めるのは自分でしかない。人によって変えるとか、ナンセンスを目指すとか。TPOはTKOの仲間じゃなかったよな。推敲を重ねる文章を久しぶりに書いてみたくなる。最近書いているのが、勢いの塊でしかないから。indexにつかってみたいようなもの。lynxでも見られるものを。生まれるのを落ちて来るのを待つべきなのか、技術で何とかするべきか、どうでも良いことか。でも、どうでも良くない事ってどれくらいあるのだろうか? なんでこんな事をしなければいけないかの理由が判る人は、その事をする必要は無い。紙一重