1つのデータ

一つのデータをとるのに大体300分前後の時間を必要とする。計算機を四つ一度に動かしているのでこれで300分で四つのデータがとれる事になった。ただ、必要なデータ数はまだまだ足りない。一人に対して10のデータをとると仮定してもパラメータをいじるので軽くそれが5倍。一人だけじゃないからね。財産として引き継いだデータにすべて実行を施す位の心構えではいるつもり。結果が出ればそれまでなんだろうけども、100%完全な相関なんて考えてないからね。どれくらい強い相関があるのかを調べるためにも母集団はなるべく多いに越したことは無いはず。これが出なければ結論と考察なんて書きようが無い。その他の所は冗長とまで思えるくらいのレヴェルまで書いているから、一晩ちょっとあれば削る事は出来るでしょう。とりあえず今は延々と続くデータとり。これで出るデータから考察を重ねるのは来年辺りになるんじゃないかな。息抜きにならない事態が続く、明日は中間発表一日目。背景と自分が判っている範囲までの準備は数日前から済んではいた。OHP用紙の準備だってそう。今日は印刷しただけ。これにも冗長な画像を出そうと思ったらばいくらでもあるのだけど、あえて俺はそれをしない。より判りやすい画像を得ることが目的なのではなくて、その画像から自動的に抽出されるデータの方が何十倍も大事なもの。それのデータをとるのに、それも使えるデータをとるのに、こうして毎日きている。きても計算機ががんばらないと終らないんだけどね。回し続けて結果をとったらまた続きを覗きにくる。計算機をなるべく休ませないように日に数回この前でコマンドを実行する。生き物を飼っているようなものなのかもしれない。人の手が入らないとすぐ不機嫌になるし、時々様子をみてやらないと寂しがってすねてしまう。機嫌が良いときは何も無かったかの様に自分で一人勝手に動いているのだけど、それに飽きるとまた止まる。世話を忘れても死ぬことは無いかも知れないけど。死ぬ事を別の意味にまで解釈拡大を行なえば死ぬのかも知れない。実質生死を明確に定義づける事って謎なんだろうから。生きているって事が定義つかないのにその対義である死なんてとてもとても。力を借りながらも自らの複製を世の中にのこし、後方もなく消えさっていく。動きもすれば考えもする。栄養をとる事も忘れず、排出だっておこなっている。単なる0と1の羅列に過ぎないものだけど、全てがそうなのかもしれないし、より洗練されたスタイルがこうやって計算機だとかプログラムだとか言う形になったのかもしれない。多分もっとも近い道具なんじゃないかな。なんでこういうふうに想像がとんでいくのかな。まぁいいけど。でも俺が知っているものの中で中身を読めば行動がある程度把握出来るシステムって計算機の中を走るプログラムのソースくらいじゃないか? 計算機も仕組み的には簡単なんだけど、配線が入り組み過ぎてぱっと見はわからないけど、難しいコードを解析する気は全くないけれども。俺が組んだ辺りならば間違い無く判る。もらった所はだいたいの所が判る。それらを組み合わせてこうして実験を行なっている。なんとか年末に休みをとるために。論文を書くために。ただ論文の実際は書くなと言われているからなぁ、そんな事言われても俺は書くのだろうし。うだうだやっている暇はないけど。うだうだもしたい。好きな様に時間が使える幸せ、忘れそう