体の置き場所

一日の半分以上を研究室で過ごしている最近。オフィスアワーはもちろんの事、こうして深夜にも登場している。夜の方が静かで雰囲気は落ち着いているから好き。時間がずれると結構面倒なんだけどね。だけど、ホントにこれだけしないと間に合わないのか? 間に合うか間に合わないかじゃなくて、判らないからやっているだけなんだろうけど。今の生活にゆとりも余裕も無い。まぁこんな時期って長くやっていれば何度も何度もやってくるんだろうけどね。ただ忙しいって会話が日常茶飯になる事だけは避けたい。愚痴りたくなる事だってあるし文句言いたくなる事だってあるけど、忙しいのは皆同じなんだろうから。自分が不幸だ不幸だと騒いで居る事で得られる安心ってとっても幼い感情のように思える。自分より不幸な人を探してそれで下世話な思いにかられて行く。自分よりも幸福な人を探して嫉妬心にせきたてられる。自分ってものが比較しなければ測れなくなる。楽なんだよ、こうしてポテンシャルを割だしていくのって。でも危険な方法一歩間違えると吹けば飛んで行く人が出来上がる。他動的じゃなくて、自動的にね。止められなくて止まらないただの事例。落ち着いて思い返せばどこにでも時間って作れるのだろう。数年前からTVを見る時間は零だし、読書の時間も去年の今頃に比べればかなり少ない。そうやって少しずつ時間を作っていって。それら全てを休眠と研究室での時間に当てる、部屋で起きている時間がほとんど零に近付いて行く。これで寝る時間まで削りはじめたら本気で帰らなくて良くなるのかもしれない。頭が痛い。ディスプレイの見つめすぎで延々と同じ事を考えすぎて頭が痛い。少し休んで回復したかなと思ったら、プログラムの実行結果を見ているだけで頭が痛い。意志の力で沈めつつなんとかかんとか続きを続ける。生まない引かない叩かないぼやかない叫ばない何にもない。どうもプログラムの進みが悪い。今日はほとんど手応えが無い。カレンダから消えても大きな影響が無いような一日になってしまった。こうして考えたことは取り返せないと知りつつもそんなものであり続けたいもの。微妙な言い回しだとか、そこに流れる空気だとか、本当に流れているのか不思議になる世界だとか、けどやっぱり止まっているものは淀むだとか。余計な事などないからこそ、捨てられない。