研究室から更新

また研究室から更新。って言っても今回は二回に分けてじゃなくて、今回一回切りだろうけど。実質こっちの方がネットワークが軽いし無料で更新出来る事は強い。文章書きにとってどれだけの違いがあるのだろうか、鍛えた辞書の差って言うのは、部屋でも研究室でもcannaを使っているのだけど、明らかに両者に登録してある、漢字は違う。こんな別にどちらにも特化していない事を書くのには支障は無いのだろうけど。設定ファイルをコピィした方が偉いのだろうかな? まぁOSもエディッタも同じVineLinuxmuleのコンビだからそれほどの違いは感じられない。こうしてずっとmuleで文章つくりなれてしまうと、市販のワープロソフトが使いにくくてしょうがない。たまにMS-Windowsで文章を書こうと思うと、意外と面倒な事に気がつかされる。IMEの自動機能は大半を無視して使用。自動構成やゆらぎをチェックってのはありがたいようなありがたくないような。MS-WindowsではMS-IME98を使用。これが2000になるともっともっとうっとおしい機能も追加されているらしい。判らない漢字が引けるのは便利だけど、ベタ打ちするのにそれも必要ない。今はプログラムの実行待ち時間。まぁこのプログラム平気で7時間近く動き続けるから、実行待ち時間じゃ無いときの方が少ない。待ち時間中に食事したり待ち時間中に草稿を書いたり、そんなもの。下手したら一日の大半がこんな事に使っている。ある意味幸せなんだろうか、こういう身分って。世界の誰も考えていない事が、こうしてこんな所で考えられている。考えるのをやめたって、結果が出なくたってどこのどなたにも影響は与えない。そりゃ論文が完成しなかったら、自分が泣く事になるのだろうけど、そんな事は瑣末な事。考えるだけ、もったいない事。やっていていやになる瞬間の方が多い。例えば試験以来久しぶりに夜の計算機室に来て、夕方から動かしているプログラムの実行結果が思った値にならなかったりだとか、プログラムにバグが発生したりしたら。そのバグに再現性があるのかもわからなかったら、ヒトがやる作業じゃないよこんな事。でも逆に言えばヒトしかこんな事はやらないんだろう。計算機が肩代りしてくれる事も多いけど、ヒトの手が入る事で、その一つ一つにいろいろな付加価値が生まれて来る。それを価値としてみるか重荷として見るかの違い。結局は楽しんだもの勝ち。昼間に来ればいいのだろうけど、会いたくないので夜に来る。研究自体はそれほど嫌いじゃない、テーマはもうここまで来たら好きも嫌いもない、研究室ってとらえ方をしたら、まぁこんなものでしょ、だけど。そんな中でも小さなわがままは我慢したくない。一貫性なんて全く無い文章。