質問の意図

相手の質問している意図をつかみ損ねる。素直に質問者と回答者の間に何が大切なのかって意識の隔たりを感じる。鋭く切替えされると、解っている事ならば、何故その点に注目して答える事が出来なかったのかと思い。知らなかった考えもしなかった事ならば、今までいったい何を考えていたのか、普通の状態でちょっと考えれば浮かんできそうな疑問が浮かばなかった事がためらわれる。疑問符を疑問符のままで蔑ろにしていると、いずれツケが回って来る。本番でなかっただけ幾分かはましというものなのだろうけど、やっていてかなり自分自身が恥ずかしい。自負心からだろうか、解らない事をすぐに訊く事が出来ない。一度自分の中で整理して、一度でも考えてみないと、質問したくない。自分で考えた事で答えが出ればよいのだろうけど、出ない時、だいたいその時は自分自身混乱してしまっている。一体何を訊けば良いのか整理するために考えたはずなのに、それさえも解らなくなり、元の黙阿弥。質問される事によって、試験される事によって自分の解らない所を再確認して、新しい出発を切る事が出来る。今まで進んで来た分があるだけ、以前聴いた時よりも受け止め切れる範囲が広くなっている気がする。だけど、やっぱり歴史の重みにはまだまだ自分の実力不足を感じさせられる。今までこれだけ知的な質問を考えた事ってそうそう無いのではないだろうか、もっともっと基本的な所だったらば、一番最初のゼミで考えたのだろうけど、自分の研究分野に特化した世界で色々な事を理解している人の言葉は重く、そして心地よい。まだまだ自分の技術不足を痛感させられる。一通のメールでかなり自体は進んだのではないだろうか? そして進んだからこそ、謎が増えてくる。この謎を解くためにまた努力を重ねる。週末遊んでいる時間作られないかもしれないな。このペースかなり遅い事を自覚しているから。〆切は迫るけどやらなければいけないことは増える一方。生活の彩りを欠くのは寂しい気が強いけど、年末年始に向けて進まなければいけない。やらなければいけない。頑張れ、もっともっと頑張れ。ただ、経過だけじゃなくて、結果が必要なのが今。