待つ自分

素直に待っている自分が居る。心ここにあらず、忘れていたような感覚。何があるわけではない、まだ直接は伝えていない、伝えられない。こうして自分の内側に置き切れなくなった時が、その時なんだろうけどその時は既に来ている。自分の内側に産まれる、もっとも本質的なそれ、産まれる瞬間は解らない、気がついたら育っていて、時を重ねる毎、出来事がある毎に多きく育っていく、過程はまるで解らない、気がついたらそれがいる。そいつに悩まされそいつにとても素的なものを授かる。言葉にすればするほど、本質から離れて行くもの。でも、言葉にしなければ伝える事は出来ないもの。表層をなぞる言葉。何でもない事がたまらなく嬉しい。奥底で感涙している、大切な部分がある。心の健康、身体の健康。幼く、甘く、切なく、それでいて輝いている。とらえどころの無いものを、壊れものを扱うように。絹豆腐を手の平で刻むように。柔らかく、滑らかにされど硬いものを持つ。あるからこそ、生活に彩りが産まれ、気力が産まれる。事ある毎に考えている自分に気がつく。集中力が増す、切れる瞬間よぎる。保証はどこにもない。だからこそ続けられる。ただ、このまま置いておくのが辛い。日に日に辛くなる。この状態を壊す一手なのかもしれない、今のこれを失う事になるような気もする。それに震える自分がいる。なにが変わるのか? なにを変えるのか? この力はどこから産まれて来るのか?