予定に合わせる

午後から予定に合わせる為に、早めに退出。考えを進めたい所もあったので、普段よりも、一時間以上早めに出かける。実際に実行してみないと、考えが進まない所があって、一度試してみたおかげで、また解らない所がハッキリする。朝の一時間半がその為に使えたのならば、今日の時間の使い方は上手く行った方だろう。考えなければ行けない所が解れば、次はその分野で考えるだけ。考えていけば、またそこでふらっと立ち止まる時があるかもしれないけど、その時はその時。とりあえず今日の所までは出来たんじゃないかな。最近、鞄の中に「英単語ターゲット1900」を入れている。1900とは言っても、派生語なんかを合わせれば、軽くこれの三倍はあろうかと言う単語集。英単語の暗記は生活の中にどんな努力をしてもどうしても出来てしまう。小さな隙間の時間を利用して一つでも二つでも覚えて行く。こういう隙間の時間って、10分もあればしめたもの。他の事に当てるには難しいけど、ものを覚えるのは時間じゃなくて、大切な集注力。駅で汽車を待つ時間とか、市の中心から、ここまで来る時間とか、普段の生活では絶対生まれない時間をこういう為に利用する。明日からは、今日の様に14時に出なければ行けないって事はない、いつも通りの最大な時間までは居る事が出来る。居て何をするって事はないのだけど、生活の中の時間をギリギリまで勉強につぎこむ。考えを一歩二歩と進める為にもとっても必要な時間。大学院に進む事は、単に資格が欲しいからだけではない。こう言う、 自らを磨く為に当てる時間が、より多くとれるだろう事を期待している。学歴がある人間が優れた人間だとは思わないし、単に院を卒業した位で立派な学歴が付くとは思えない。そこに居る間にどれだけの経験をして、どれだけの事を考える事ができて、そしてどれだけの結果を残す事が出来るのか。まだ研究のいろはが解らない俺には、この範囲は完全に未知なる領域だけど、それを学ぶために、自分自身としての研究の進め方をまがいなりにも確立するために、卒業研究ってのがある。そいつが、今謎の状況。大丈夫なんだろうか? 大丈夫にするしかないんだろうか?