おかしさ

論理的なおかしさが、この気分転換によって生まれている。表が無い所に、テーブルタグを書き込んで、インデントをしようとしているのだから、他のが完全に論理構造から考えられたものだったら、少しだけ考えただろうけど、今までこう言う方法は使って来たから、それほどの抵抗は無い。スタイルシートの記述方法とかも勉強して、もっと素的なものを作りたい気もするけど、他にもやりたい事が多すぎて、今までの方法で補完が効く事は、後回しになってくる。これだけのものを知っていれば、それだけのものを書く事が出来るから、表現媒体と言う意味では、かなり難しいものがあるけど、結局、こういう時間を生活のうちでどこかもっていたいのだろう。思考って記号じゃないんだろな。こうやって色々と理屈めいた事、いや理屈そのものが描かれていくけど、実際頭の中で考えられている事はこういう事ではない。ただ外界に出ようと、言語って形を得た時、こう言うものになっていく。こうする事によって、残す事が可能になり、伝える事が可能になる。思考する事と伝達する事、保存する事はかなり違う。最初は自分の為にここへ色々と書いて来たけど、結局誰かは読んでいるのだ。読んでどう思うかって言うよりも、まだこれを読んでいる人が居る事を、自分がどう思うかっての方が気になる。明らかに、最初に書きはじめた時とは、少しずつ変わって来ている。進化なのか、退化なのか、どっちとも言えないけど、こうして毎日書くことによって、何かが残って来る。こうやって書きながら、何十人もの、自分自身と対話している。全ての思考が同時にはじまり、早く終ったものは、別の事を考え出す。自分によって自分が客観視されている瞬間。こんな事を世界に向けて発信する事に意味は無い。最近は、本気で精神安定の為に文脈も結論も無い文章を書いている。