話したい心と、逢いたい気持ちが距離を決める。

私は恋人にほとんど電話をかけません。かけるのは、必要だとどうしてもかけなければいけないと判断するときです。その判断は直前に携帯電話に届くメールに大きな影響を受けます。メールの文章に警報を感じ取って、どうしても文字ではない声で伝えた方が良いと思います。そんな機会はあまり多くはありません。多くない方がいいんです。警報はならない方がいいんですからね。でも、その警報を感じ取ったときは躊躇いません。自身の力を過信するわけではありませんが、私の声の力を信じて電話をかけます。

逆にかかってくることはそれなりにあります。「声がききたかった」って理由で電話をかけてくれるってとても嬉しいです。私も同じ気持ちでいつもいるのですから。かかってくると取り留めのない話題を延々と話しています。何を話しているのか、よりもただ話していることが楽しいんです。楽しいのに、自分からはかけないんですよね。電話ではなく、私は手紙を書きます。1日一枚それこそ日記のような感覚で便箋に思いを綴っています。それを届けるのは週に一度ですが、毎夜たった一人の人を思い抱いて文章を綴るのは私の中ではとても幸せな時間です。私のスケジュールの中に入っている時間なのです。

電話だって、手紙だって関係はないんだと私は思います。大切なのは、話したい逢いたいって思うこと。その思いでしょうから。思いがあればそれを伝えるのは色んな方法があってもいいんです。お互いが同じ方法をとる必要はまるでないのですからね。伝えたい思いがここにあります。揺るがない心がここにあります。だからそれを日々の出来事にのせて書くんです。恋人はそれを電話にして、私はそれを手紙にして伝えあっています。

こうして色んな方法でいつも話をしている私たちです。だからなのか逢うときは、静かに見つめあっている時間を大切にします、並んで散歩できる時間を大切にします、同じ店で食事ができる時間を大切にします、隣で眠れる時間を大切にします。端で聞くとわけのわからない話なのかもしれませんんが、二人だけは笑っていられるそんな時間も私たちの幸せです。

五月の連休にもう一度逢えます。その時間を楽しみに、カレンダ通りの平日3日間乗り越えて行きます。