Linux

Linuxをインストールしていると、いかにコンピュータに片仮名用語が溢れているかを実感させられる。研究室ではVineLinuxをつかっているのだけど、そのインストール画面で「インストールの時に使用する言語を選んでください」ってディスプレイに出力されて、英語と日本語を選ぶ事になる。馴染みのある日本語を使うのだけど、試しに英語でインストールしてみても何も全く変わらない。単語が日本語に訳せずに片仮名言葉になっているだけだから、英文全く読めなくても専門用語を知っているだけで英語日本語は関係なくインストールできてしまう。最初に出る言語選択にどういう意味があるのかなぁって考えるけど、意味なんか無くても日本語を選んでしまうんだよね。

逆にこれら専門用語を無理矢理に漢字に訳して表示させようとすると解りにくくなるように思う。コンピュータは計算機って訳すんだろうけど、計算機って聞いてコンピュータは想像できない気がする。ディスプレイを画面って表現しても伝わるだろうけど、陰極線画面と液晶画面って書くと後者は解っても前者は解らないんじゃないかなぁ。後者は英語の方があまり知られてないはず。インストールって言葉はどう日本語にすればいいんだろうか。インストールそのものがもう日本語だからね。フロッピィディスクやパソコンだってもう日本語みたいなものか。

コンピュータ用語に限定しなかったら、もともと日本語があるのに片仮名の方が当たり前になっている言葉は多い。梗概って言葉を知らなくても、レジュメって言葉は研究室では当たり前のように通っている。でも、論文の事は論文って言う、ペーパって言う事は稀。また、レポートはレジュメ同様、片仮名言葉の方が通っていて報告書とか考察書とかは言わない。籠球じゃなくてバスケットボールとベースボールじゃなくて野球ってのも、考えると面白いなぁ。アメリカって言うのを、表記すると米国って書いたり全米オープンとか言うのもね。

文字から呼び起こされる想像はとても面白い。だけど、アメリカは米の国じゃないしフランスでは仏教ってそんなに盛んじゃない、中華思想ってのもねぇ。意味からできた言葉、音からできた言葉、時々そんな視点で周りを見渡してみると面白いなぁ〜。