分かること、体験すること

障害を持つ人が居ることは頭では解っている。でも、こうして本当に身近に障害者に接すると頭だけでは足りない部分を埋めてくれる。障害者用の杖が実際はどんな形をしているのか、盲導犬ってのはどんな仕事をしているのか、障害って一括りの言葉にされるけど本当に色々な種類があると言うことが。昨日と今日を通して障害者がインターネットを使うことの手助けをしてきた。質問されたことを1つ1つ答えていくだけだけど、最初は講師の画面と僅かに違うだけで不安になるものだし、スイッチの意味もイメージができない。マウスの使い方も、キィボードの打ち方も、電源の入れ方切り方も良くある家電製品とは違うものだから、戸惑う。普通に終わる時に電源ボタンをオフにすることで切ろうとする人がいる。覚えたことも忘れることが多く、また思い出す。覚えて忘れて思い出して忘れて思い出して忘れて思い出す。繰り返し繰り返しのうちで、自分のものにしていく。どれだけ時間がかかるかは人それぞれ、そこで諦めずに興味を失わずに自分の心で挑んでいく。その手助けがこの2日間でできただろうか、俺にできることは精一杯やった。ディジタル技術、情報技術がどんどんと人と人のコミュニケーションに新しい形を与えていく。目が見えない人はホームページが喋り今打ったキィが喋る、更に耳も聞こえない人は、その打った物を点字で出力させて確認するらしい。そういう障害じゃなくても、手足の動きに不自由がある人にだって、急がなくても場所に依存しなくなれば新しいコミュニケーションが生まれる。どんな技術をもってもつなげるのは人と人、そのためにある。人のプレゼンテーションを観る。自分が解っていることをどれだけ相手に解ってもらおうとするか、聴いている相手がどんな人なのかをハッキリと捕まえて聴かなければ話がどんどんと霧散したり哲学抽象的になる危険性がある。2日間通して講師の間に意志の疎通がなかったら、何を話して何を話していないのか、何をどんな言葉でもって話したのかが解らなくなる。専門用語が多いこの手の講習会では避けられないのやもしれない。俺だったらこの人たち相手に何を話すか? 俺の中には何があるのか?