理論は単純

理由は簡単、議論がはじまる事って大概、これと言うべき答えが無い事ばかりなんだし、時間も順番も仕切り役も決めずに話が進むから、そして議論が形として延々と残るから。声として出来ない議論は泥沼の様相を呈する事が多い。その後味の悪さから何が産まれて来るのか? これはこの後掲示板にやって来る人書き込みを続ける人の力にかかっているのだろう。実際これはかなり利己的な意見。ただ、利己的でない意見なんてどこに信憑生が産まれるのだろうか? 偽善じゃない善なんて無いって言い切った人がいたなぁ、ニュアンスは違うけど、偽善も善の内って言う人もいた。俺のページには今の所掲示板を置く予定が無い。まだ公開している人が誰もいないこの段階から掲示板を置いてもどうしようも無いのが理由。公開をはじめたのち置くかどうかも微妙な所。俺に意見が言いたいのならばメールで十分なんだからね。ホームページ内だから許される文章達。メールより書きやすいのが掲示板なんだけど……これは様子見かな。自分の価値観だけで生きる事は出来ないし、全く価値観を持たずにいるのも無理。大切な事を忘れずに、自分が何をしたいのかをしっかりと見つめて、それをどう周りと折り合いをつけて行くか。ネットとそうでない所の違いってあまり大きくは無いのだけど、表現媒体が限定されるのは一つの違い。だからよりクリアな物に見えてしまうのかも知れないな